疲れているのだが思っていたより早く目が覚めた。やはり老人に近づいている証拠か??となりで寝ていた先客はもういない。
5時過ぎに起床し5時半過ぎにスタート。そう考えると今日は「ゆっくり」しすぎ。しかし昨日は予定よりも50km長く、そして3時間ほど長く走っている。そう考えたらこんなものか。
ルーゴからフィニッシュまでは基本的に大きな登りはもうない。難易度を示す表記も2つ星がひとつであと4つは一つ星。
しかし違う見方をするならば、この難易度は基本アップダウンをベースに決められているから、残りは登らない=脚は止められない、と言える。
峠をゆっくりでも登れば、下りでは脚を止めても進むけど、平坦はそうはいかない。
ルーゴの仮眠所で寝ていた連中の前は、10人もいないと考えてよさそうだ。
そう考えると前は20~25人、21日未明から21日9時までのペース配分。ということは微妙に会うか会わないか・・・
こちらも疲労は蓄積しているしペースはそれほど上がらない。
今日は昼前からイタリア人の3人組と出会い意気投合する。
英語は片言だが、そう言うオレもそんな人に自慢できるほど英語が得意ではない。
まぁ日本語も怪しいが・・・
ルーゴから160km、ピエーヴェ・ディ・コリアーノのチェックポイントへ。
一応ここで赤井くんからのサポートは最後。次に会うのはフィニッシュだ。
ここでお昼ごはんにしてここまでの話で盛り上がる。
この日は暑かった。走っていても飲み物はどんどん減ってくる。水でも買いたいなぁって思っていたら、昨日まで一緒に走っていたイタリア人グループが合流。彼らも飲み物を求めてコースアウトし町の中へと進んでいった。
残り距離が20kmないしオレはコースアウトせず基本このままチェックポイントのコエンツォを目指す。
残り数km、GPSのルートを見ているとなんとなく少しずつルートから逸れているように見える。が枝道はなかった。
しかし進むごとに気になるそれ方をするのでこの先をチェックすると、やはり手前に曲がるポイントがあるようだ。
急いでUターン。それ始めている起点を見ると、「え?これ道ちゃうやろ」って感じの入り口を発見。少し進むと「絶対確信生まれない道やんけ」?なグラベルだった。
チェックポイントのサン・シーロ教会に着くと、小さなエイドステーションだったがみんなすごくホットで、食べ物の世話やも飲み物、コーヒーまで致せり尽くせりだった。
そのうち一度抜いていったイギリス人が食べ終わる頃に到着。
グラベルの入り口がわからず、まっすぐでも合流できるだろうと走ったら、果てしなくどこかに行ってしまったらしい(笑)
やはり迷ったらまずチェックする、Uターンする勇気をもつ。これに限るな・・・
ステージ16 フォンビオまでの91km
スタートするとき、この2つ前のステージで一緒していたイタリア人3人組が
「一緒に走ろうよ」
と声をかけてくれた。
ステージを終えるまでに確実に日没を迎える。疲れているしここは一緒に走って喋りながら、意識をちゃんと保った方が楽だ。
キレイな夕焼けを浴びながら、そして今度はオレンジ色の満月を見ながら、みんなで景色に喜びながら進んでいく。
ちょうど疲れたなぁってタイミングで「コーヒーでも飲もうぜ」ってことになったので小休止。
カプチーノも飲みたいけど暑いからまずアイスクリームだ!と買おうとしたら、イタリア人が牽いてくれているから奢るよ!と奢ってくれた。
22時半にはフォンビオに到着。今日は330kmを17時間。停止している時間を考えるとまずまずのペースだ。
しっかり食べて明日の走りに備えなければ!と食べていると、イタリア人たちが一緒にこのまま行こうぜ!あと4時間だ、と。
だいたいLELでもそうだが、最終ステージは寝ずにそのまま突き抜けていって、フィニッシュ後に寝るパターンだ。
しかしオレは明るくなってから寝るのは嫌だし、フィニッシュでは赤井君たちが来てくれるからその時間に合わせたい。
10時頃なら赤井くんたちもホテルで朝食を終えてから来ても間に合う。
10時で逆算すると最終ステージは123kmだしおおよそ6時間、朝4時に出られたらいい。
そうなると最大5時間は寝られる。
ベッドもアウトドアで使うようなな折り畳みのものが用意され、快適。
イタリア人たちはひとまずこのまま出発するというのでお互いエールをかわす。
4時起床4時半出発。5時間ゆっくり寝られたので体は軽い。
スペイン人に追いつくが登りで千切れていった。
パヴィアの町は明るくなり、街が活気づいてきた6時すぎ。そしてしばらくするとティチーノ川に架かる屋根付き橋のコペルト橋を渡る。
全工程4カ所あるチェックの最終ポイントはパヴィ―アから割とすぐのゼルボロのレストラン。
7時にもなっていないがどうなんだろう?と思っていると、お店の前に大会関係者の車両が。
ちょうどお店を開けるタイミングで、それまでは大会車両が店の前に停車して参加者を停めてチェック。お店が開店したらお店に入ってチェック。ちょうどオレはその入れ替わりの瞬間に到着したようだ。
正確には朝7時からなのか、コーヒーは出せるがパンなどは用意できないとのこと。補給食になりそうなチョコを2つ購入し、あとは主催者が参加者に用意してくれたスイカを食べる。
残り60kmほど、3時間はかからなさそうだ。
それでもミラノの街が近いこともあり、この最終日はやや交通的に多い。
そう言った道路を避けるために川沿いのサイクリングロードのようなところや線路沿いの自転車道を駆使して比較的走りやすいが、景色的にはあまり響く感じは少ない。
9時40分すぎ無事にフィニッシュ。
ちょうどフィニッシュに到着するとイタリア人たちが起床?したタイミングかばっちりと会えた。
スタートが慌ただしく出て正式スタートタイムがわからないのだが、おおよそで言うと110時間ほど。当初の到着予定時刻で言うとほぼドンピシャ。予定通りの走りだと気持ちいい。
振り返ってみると、PBPやLELより個人的にははるかに楽に走ることができた。
コースプロフィールや路面、年々落ちていく走力・・・いろいろと大変なことがなかったと言えばウソになる。
最初からそれほど大きな冒険をしてリスクと隣り合わせで走ったわけではない。4日めの峠越えのあとの睡魔と戦った1時間ほどだけが今回唯一少し危険だったぐらいだ。それでもまだ自分自身のコントロール下に自分がいたので(変な日本語だな)それほど不安はなかった。あとは時々抜いていく車、大型車も含めて車間が驚くぐらい近くてスピードが速かったことぐらいだろうか。これは純粋にイタリアが走りやすいと思えなかった最大の理由だ。
自分の知っている限りだが、オランダやベルギーの方がよっぽど自転車に対しては思いやりを感じられた。
今回は35年来の付き合いのある友人である赤井くん、そして普段身体のケアをしてくれているReBoneさんが車で一日に1回荷物の入れ替えのサポートを手伝ってくれた。
その時のサポートカーとしてマツダさんにはイタリア法人にコンタクトをしていただきCX60をお借りすることができた。ヨーロッパだとその車格もちょうどよく、快適なドライブだったに違いない。
今回でPBP、LEL、そして1001ミリアイタリアと、ヨーロッパ(世界?)3大ブルべ制覇。
この3つだけで7回完走。
PBPはRMに含まれないはずなので今回の1001ミリアイタリアで11回めのRM完走。
ブルべはレースではない楽しさもあるが、逆に今までレースの世界で育ってきたから競らない寂しさがあるのも事実。今年グラベルレースに挑戦してみて、純粋にレースは楽しい、と再認識している。
ブルべを辞めることはないが、今までよりは少しトーンダウンするかも。特に日本のブルべはある程度やり尽くしたと思うし。今後走るとしたら長いブルベや土地勘のないアウェー感たっぷりブルべ、あとは挑戦するという楽しみでSR600かな。
完走して中一日でフライト。ホテルに戻ってまずはウェア類を洗濯。そして持って帰るものと捨てて帰るものを選別。ホテル横のバーキンで晩御飯にしたが、疲れが出てきて晩の8時、部屋に戻ってベッドにそのまま横たわったら寝落ちしていたようで、3時に目覚めてビックリ。歯を磨いてシーツに潜り込んだら次は朝の9時。トータル13時間ほど寝ていた計算だ。さすがに5日間走り続けたのは思っていた以上に疲労蓄積していたのか。
翌日は軽く走りフライト当日は早朝走ってパッキングする時間もないので前日に自転車パッキング。朝食を済ませて空港へ移動し、マツダイタリアのマウリッツォさんに車を返却。荷物を無事チェックインカウンターで預けてさっさと搭乗手続きを最後にカプチーノを飲みながら待つことにした。
そしてこれでひとまずオレの1001ミリアイタリアは終了。飛行機からチラッと見えたイタリアの景色、きっとまた訪れるときには「懐かしい、戻ってきた!」って感じるのかもしれない。
イタリアで会ったすべての人、そして日本から応援してくれたすべての人に感謝