今年も日本最大のステージレースであるツアー・オブ・ジャパン京都ステージのアンバサダーを務めさせていただきます。
ステージアンバサダーは
今年も日本最大のステージレースであるツアー・オブ・ジャパン京都ステージのアンバサダーを務めさせていただきます。
ステージアンバサダーは
先に一言
シクロクロス世界選手権、決して遊びに行っていたわけではありません。
しかし会場で会うわ会うわ懐かしい顔に( ゚Д゚)
こう見えて?オレもなんだかんだでヨーロッパで9年もプロで走っていたし、いつの間にか知り合いも増えてきて。
そしてそんな懐かしい連中は、いつのまにやら要職に。
ランドバウクレジット時代のチームメート、ベルト・ルーセムス。
今ではシマノのえらいさん。
ってベルト、お前現役の時にシマノ使ったことあるの?(笑)
なんか現役の時と全然変わってないやん!
背の高いところとか・・・
試走をチェック中にいきなり羽交い絞め
ヘイ!マサ~~!
あ、ポール師匠!!
そう、元シクロクロス世界チャンピオンで元チームメート、そしてオレのシクロクロスの師匠でもあるベルギーの名物解説でもあるポール・ヘレイゲルス。
何回シクロクロスのトレーニングで原生林で置いて行かれて行方不明になり、「そうだ!ポールのタイヤの跡(デュガス)を見つければいいんだ!」と思い路面を見ると、数えきれないほどのデュガス跡で命の危険を感じたことか。
そう、ベルギーで森の中に入るとトップ選手がてんこ盛りで練習しているから、タイヤ跡が付きまくり。
コクセイデのワールドカップの時は
「マサ、あの砂山は乗って降りれるから頂上で飛び乗ってそのまま下るんだ!」
ってやったら、そのまま突き刺さってジャックナイフで前転。
あとでテレビ見たらポールあんた担ぎランニングで降りてますやん!!
99年のルッデルフォールデ、オレはベルギーUCIレースで日本人初のトップ15で完走したけど、その時1周目第2パックでポールと一緒。
「マサ!牽け!追いつけ!」
すぐにシフトアップして第1グループを追走!・・・しかけて気づいた
「ポール、あんた今年チーム別々ですやん!」
で、牽かせるだけ牽かせて自分だけアタックして先頭グループへ。
ヤバい!とオレもアタック!するもつけずにヒラヒラ~~と第2グループ。
そしてその後ポールはパンクして千切れてDNF
きっと天罰だなwww
2003年のワールドカップ・ホーヘルヘイデでは、スタート前のコールでスタートに移動しようとしたら解説席にいるはずのポールがオレの後輪を持って動けなくしていてビックリ。なんで動かへんねん!と思ったらポールあんたかいッ!
あとでテレビ見たらほんの一瞬だけ実況一人で回してる。
と言うことはオレを見つけていたずらするためだけに抜け出したんか~~い!!
ベルギーの総監督であるスヴェン・ファントーレンホウト。
今年の世界選手権はオランダにコテンパンにやられたから大会翌日から来年のプランがスタートした、と連絡がきた。
ってU23メダル独占でもコテンパンというベルギー車連、おそるべし。
今の日本だったらメダル1個でも一生安泰だろうにwww
ベルトとポールと、オレの後ろにいるのはクリストフ・ロードホーフト。
ニールス・アルベルトの専属マネージャーで、今はマチュー・ファンデルポールのチームの監督。
選手時代はヘボかったのに、急に態度デカくなったんじゃないのクリストフ?
話の内容は・・・内緒
でもポールが「今回のコースは重いけど単純でシンプル。テクニックは要らん」
自慢するとオレと考えが一緒。師匠万歳!
88年、オランダに滞在していた時に同じクラブでそのまま腐れ縁のリシャール・グローネンダール。99‐2000シーズンの世界チャンピオン。シント・ミシェルスヘステルの世界選手権は、ゴール地点が彼の家から500mほど。
93年アマチュア最後の年、オレのシント・ミシェルスヘステルに滞在。彼のピット専属スタッフの家に居候していて、毎夕食後に自転車でリシャールの家に行って食後のコーヒータイム(笑)
ベルギーのレースはほぼすべてリシャールの運転だったし。
2002‐2003シーズンの世界選手権チャンピオンのバルト・ウェレンス。
こいつなんか知らんけど意気投合して、ロードシーズンはずっと仲良くて。
2002年のゾルダーの世界選手権のレース直前、ベルギー無敵艦隊試走に外国人で唯一混ぜてもらった時も、目が合っても嫌な顔せずに手の内見せてくれた。
そのおかげで1周めはベルトと同じグループで通過。
ってそのあと全然ついていけないけど。で、翌年世界チャンピオン・・・
一度もチームは一緒になってないが、なんだか仲良しなフランキー・ファンハースブルック。
「なんでお前、ここにおんの!」って聞くとカータ・ヴァスのサポートできていたらしい。
1個ぐらいメダルをくれても罰当たらないオランダの監督であるゲルベン・デクネヒト
オランダチャンピオン2回。
どんな練習してるかちゃんと聞いといた!!
いまじゃUCIのオフロードでお偉いさんのペーター・ファンデナベーレ。
挨拶に行ったら「おお!懐かしい!」って。
シクロクロスからMTBにスイッチしベルギーのMTB界では草分け的存在。
一応仕事している写真を渡部から。
渡部曰く
「三船監督『背中が』恰好いいです💛!!」
おい、背中だけかいッ!(*´Д`)
ああ、もうすでに1週間。
シクロクロス世界選手権、振り返っても見えないぐらいに忙しいです。
まずはたくさんの人が世界選手権応援してくださり、お礼申し上げます。本当にありがとうございました。
選手たちもみんな全力で頑張ってくれたし、何よりもそれを支えるスタッフそしてバックアップしてくださったJCFの関係者にも、ただただ感謝です。
自分は監督として2回目の世界選手権でしたが、昨年よりもはるかに今年の方がいいチームになったのではと感じました。
もちろん昨年の選手やスタッフも素晴らしかったですが、今年いいと感じたのは周りのメンバー云々というよりも、自分自身がスタッフとしての仕事をある程度的確にこなししたからかな、とも思っています。
今年から新設された女子ジュニアでは2人とも完走してくれ、このオープニングのカテゴリーで2人ともノンミスとはいかなかったものの積極的な走りをしたことが、この後のカテゴリーの走りにつながったと思います。そういう意味では「ニコイチ」な石田&渡部ペアはムードメーカーであり、チームのマスコット的存在で、スタッフ含めて勇気とともに和みももらった気がします。
結果を残せた選手、残せなかった選手、みんなもっと走れたはずだ、もっとできるはずだ!と悔しさを露わにし帰国。これからの1年のテーマを各々見つけたようです。
自分としてはいち連盟のスタッフとして、今後も日本のシクロクロス界が更に発展していけるよう、選手を後押しで斬ればと思います。
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
いよいよ2020年、オリンピックイヤー。特に何もないんだけど・・・
でもこれで日本のスポーツを取り巻く環境が少しでも良くなってくれるといいね。
正月気分も消え(って元々ないんだけどね)、最大9連休な企業を横目にコンビニもビックリな年中無休24時間営業!なオレさまですが、しかし見方を変えれば年中開店休業状態な特殊企業なわけで・・・
そんな2020年の幕開け、今年も恒例の山中越えへ。
一体どんだけ初日の出を連続で見ているんだろ。見れなかった年が思い出せない。
今年は例年よりも気温高め。途中でマイナス2℃の表記。
いつもの場所で安定の初日の出、見終わってから下るときが一番寒くて、途中で寒くて寝落ちしそうだった(笑)多分マイナス4~5℃かな。それまで大丈夫だった指先や足の指先が一気に痺れてきた。
それも大津下り、マクドで元旦早々「初朝メニュー」で回復、でそのままウトウトと。
振り返ると毎年いいことばかりじゃないけれど
「初日の出がこんなにきれいに見れたのだから、今年は去年違っていいことがあるさ!」
と(笑)
おみくじも大吉だし。
今年もいろいろとチャレンジしていきます!
続きを読むこの猫の手も借りたい師走の真っただ中、事務所の引っ越しをしていました。
ほんま引っ越しって大変ですよね。しんどかったぁ~~~!
京都市内から京田辺市に事務所を移転したのは2年半前。
その時もそれなりに大変だったと思うのだけど、あの時は比較的時間に余裕がある中で引っ越しを行ったので、今ほどの大変さはなかったかな。何がどう大変だったのかもあまり記憶に残っていません。
しかし今回は引っ越しをしよう!と思ってから完了するまで2カ月ほど、本当に疲れました。
思えば前回は比較的たくさんの人が引っ越しを手伝ってくれたので楽しく、そしてあっという間。
今回は延べ人数こそ多いものの、実働2人。で、荷物移動は一人でかなりやっつけた。もう今世紀中は引っ越しはまっぴらごめんです。
全部荷物を運び出し
ああ、そうだ、最初に入ってきたときもこんなだったなぁ。
ここまでは割とスムーズにできたけど、ここで忙しく手、そして一人で運ぶのは・・・壁にぶち当たり。
でも運び出せてよかった。
そして新事務所
かなり狭いけど…実は自分の実家、元々自分の部屋なので懐かしい。
まさかこの部屋を出て20年ほど経過して、こういう戻り方をするとは。