1770万人いるけど、誰もオランダ!!中編

オランダの某企業で仕事のミーティング。工業系の会社で普段まったく使わない単語オンパレード。こりゃダメだ!と思うも、実は工業系専門用語においては通訳の必要まったく問題なし。むしろ問題なのは普通の会話、ということで少し救われた。

ミーティングと会社視察後、北ブラバンド州から今度は北の果て、フリースランド州へ移動。

アムステルダムあたりの人たちからしてもフリースランドは地の果てのように思われていて、アムステルダムから車で120kmほどなのに。同じ距離の北ブラバンド州のアイントホーフェンなどは、地の果て的感覚で語られることはない。

 

約2時間のドライブでフリースランド州へ。ここで87年に滞在していたヘーレンフェーンへ。その時お世話になったホフさんファミリーとは家族のような付き合い。

2人兄弟のヤコブとヤンはオレの1つ年上と1つ年下。3兄弟として扱われ、彼らの結婚式には家族として参列させてもらった。

事故車のレッカー移動などの仕事をしていたホフさんの事業も年々拡大していて順調のようだ。

今回のホテルはヘーレンフェーンから20kmほど東に行ったドラフテン。町の郊外のホテルで非常に静か。晩御飯の前に少し散策がてらサイクリング、晩御飯がサイコーに美味しく感じられたのは言うまでもない。

 

12日は朝から37年ぶりに会う元クラブメート、タエケ・オッペワルとサイクリング。

87年初めてオランダに渡り、クラブメンバーが新しくクラブにジョインする日本人見たさにやってくると聞いていたが朝からあいにくの悪天候、確か気温2~3℃でひょうが降っていたような気がする。当然誰も来ないと思っていたら、次から次にやってきて、着替えるのを待っていた。その時タエケはクラブのエース的存在でむちゃくちゃ嬉しそうな表情で待っていたのを今でも忘れない。

オランダ人の多くは背が高くて人間じゃないみたいだけど、タエケはオレより背が低くオランダ人ぽくなかったが、クラブ代表で大きなレースに行くときはいつもタエケは選ばれていた。

クラブ内のチャンピオンシップ、初日ロードレースで2日目タイムトライアル。

初日なんとタエケと二人で集団を抜け出して最後はスプリントでタエケをやっつけたが、タイムトライアルでは3倍返し!でやられた。

そのあとアマチュアのトップチームに在籍していたが、プロへの道を諦めて今に至る。

しかし相変わらず強く、2年前のグラベル世界選手権は年齢別で4位、昨年は直前に鎖骨骨折してコンディションを崩していた影響?で13位。今年から年齢カテゴリーは上に上がるので、そういう意味では表彰台を狙える選手だ。当面タエケの走りを追いかければ、世界での好ポジションが見えてくる。

車で滞在しているホテルまで来てくれ、一緒に2時間ほどサイクリング。終始昔話やグラベルレースのことで盛り上がり、2時間なんてあっという間に終わってしまった。

ひとまずホテルで休息し夕方には受付会場へタエケと。

悪天候。午前中走って正解だよね、明日のコースコンディションは泥沼だね、って話をしながら彼の運転でホテルに戻り、夕食。

そしていよいよグラベルレース。明日のレースに備えての就寝。

今回は一緒に渡航した友人藤岡くんの会社の取引先企業さんとの打ち合わせ帯同が本来の目的

打ち合わせの前、夜明け後に軽くライドへ

 

87年、始めたオランダに滞在した時お世話になったホフさんファミリ―とは、その後ずっと家族として接してもらい今に至る。
オレの左がアニキのヤコブ、右が弟のヤン。オレと1つずつ年齢が違う。
彼らの結婚式には家族として参列し、そして自分の結婚式もヘーレンフェーンのシティホールで行った。

 

レース2日前
今のうちに美味しいお酒堪能しておくか(笑)

 

 

87年に所属していたクラブチームのクラブメートだったタエケ・オッペワルと前日イージーライドへ。

37年ぶり。このタイムギャップを埋めるべく、2時間ずっと喋りっぱなしであっという間の2時間だった。

オランダらしいレンガ道


 

 

明日のゼッケン

実はエントリーの時にミスで150kmに登録されていなかったが、タエケが説明してくれて一件落着。
UCIの公認大会と言えど、そのあたりは結構ゆるい感じだった。