このステージ4は個人的に最も厳しいステージだった。
標高や登りの距離などは後半のサンブーカ峠の方がきつい。が、勾配や気温、そして初日いきなりのオーバーナイトで睡眠時間がない状態でのライドは、確実にパフォーマンスが上がらない。
下り切った町は比較的大きく、レバントという町らしい。
交差点の右側にカフェ発見。こりゃちょっとコーヒーを、と思って店内を覗くと参加者が占拠。何人かは寝落ちしていた(笑)
ここでカプチーノとパンを補給
無茶苦茶甘いチョコクロワッサンとカプチーノに砂糖入れるのって、運動していないとさすがに口の中が甘すぎ-!って思うけど、今回はちょうどいい感じ。カプチーノのエスプレッソが苦みそしてパンチが効いていて、イタリアでのカプチーノもエスプレッソもドはまりしてしまった。
胃を満たした、というよりもおいしいコーヒーで気持ちが満たされた、というほうが正しいのだろうか。身体も寝ていないから簡単に熱がこもってオーバーヒート気味になるが、リセットしたのか気持ちよく走りだせる。
が、その気持ちよさは1時間も待たずに木っ端微塵、きっとカプチーノ3杯飲んでも叩きのめされたであろう登りが行く手を阻んだ。
レニャーノという小さな町へと抜けるその道は、入り口で既に自転車で走る規格外の勾配に達し、中盤ではUCIだったら絶対NGだろうレベルで、なんだったらUCIどころかWHOもCIAも、もっと言えばこの世に存在する3文字アルファベットはすべてNGで心の中でさらにNGな4文字アルファベットを叫び続けるしかなかった。
背後には夜中から割と近いところを走り続けるスロバキアジャージを着る女性。
さすがにこの規格外の道を見た途端、背後から大きな声で
「ホントにこの道なの?あってる??」
きつすぎて声が出ない。そして振り向けない。
オレのこの苦しみもだえるダンシングを背後から見て悟ってくれ、合ってるんだよ残念ながら・・・と
声がしなくなったな、と後ろを見た瞬間、オレも力尽きて足を着き、そこから頂上までまさかの押し。登れずに押すのは、SR600で酸欠になったとき以来。多分この坂は30%は越えている・・・誰だよ、こんなところに道作ったの。
これだけきつい道の町なんだから、きっとフランス軍もミラノ止まりでここまで進行していないに違いない・・・
そんなことを脳裏に思いながら、ただただゆっくりとペンギンのように押して登っていくしかなかった。
30分ほど前に飲んだ至福のカプチーノもクロワッサンも既に記憶にも口の中にも存在していない。オーバーヒート気味な体内から出てくる熱い二酸化炭素しか口には感じられない。
そこから勾配こそゆるくなるもののどこまでもひたすら登っていく。
そのうち肺に穴空いているんじゃないの?みたいな呼吸のスロバキア姉ちゃんに抜かれ、テンポで進んでいく。
海岸線に出ると景色は素晴らしい。気分は最悪だが・・・
そう言えば地図で海岸線を走るということだけはチェックしていたが、勝手に日本海国道8号線を想像していた。
これってビーナスラインのガードレール横が海、みたいな感じやんけ・・・
これでもし雨で嵐で視界ほぼゼロだったら・・・運がいいのか悪いのか
こんなにタフなコースなのに、イタリアっていい国だねぇって気持ちで走っている自分がいる。
かなりしっかりとダウンヒルをしたら、無茶苦茶都会に降りてきた。
ラ・スペツィア、大きな港町のようだ。
ここを抜けていくということは、主催者は暗に
ここで飯食えよ、補給しろよ
ということなのだろう。
するなよ、するなよ、ぜったいするなよ!
と同じではないと重々承知なのだが、
通過してしまった。
正確には、一度バーのようなところに入ったら、営業時間前だった。
そしてボトルの水も底をつき、これマジで死んじゃうんじゃない?海外旅行保険のイタリアの電話先だけすぐに用意しておくか、って思っていると小さな商店を発見し水とコーラ、パンを購入。
みんな熱いのかオレを発見した後続は吸い込まれるように止まっていく。
そしてここから先へ、というとき左側にピッツアレストランの文字が。
ああ、こっち来てピザ食ってねぇよ、と思うのと同時に吸い込まれた。
11時半。店の人に聞くとオープン12時。
もう気持ちはレストランで食べるモードになっていたので無駄だけど30分休ませてもらう。
言葉まったく通じないちょっと厳ついオヤジが何か喋りかけてくる。通じ合う気配も可能性もない。
しかし、オレも海外で走っていた時、特に最後の年はベルギーイタリアミックスチームで、イタリア語しかわからない連中となぜか意思の疎通があった。そのときどうしていたんだっけ・・・
なんでもいいから、英語やフランス語、スペイン語、知っている単語発したら意外と通じるものだ。当時チームスポンサーだったコルナゴ(エルネスト)とはいつもイタリア語に対して片言フランス語だったし(笑)
ということでオヤジにいろいろ並べてみたら通じた(笑)
そんなに走るならたくさん食えよ!と。
注文でパスタ大盛にしたら、オッサンのサービス盛り?との相乗効果で、ここでリタイヤか?等ほどに胃がパンパン。気軽にオッサンの気持ちを掴んで大盛サービスなんてさせるもんじゃないな、と後悔。
ふつうのパスタだけなら大盛でも問題なかったのだろうが、パンは大量にくれたし、そして頼んだ(というかオッサンが「それならおススメのラビオリだ」と持ってきた)ラビオリが、具もソースも重たくて見た目以上に胃の中でパンパンになっている。
そんな状態なのに、〆のアイスクリームは食べてみた。もうこれで冥土まで自走で行けるな、いや冥土まで行って帰って来れるか??いやいや、冥土じゃなくこのステージのフィニッシュ、ゴルフィリアノまでだ・・・
食べてカロリーを接種したからか身体が軽い。そして蒸し暑いと思っていたらこの先急にゲリラ豪雨・・・まぁ身体が冷えてちょうどいいの。
そしてここからひたすら登ってミヌッチャーノの町まで1時間以上登っていく。
前半は比較的勾配が緩く負荷を上げなくてもよかったが、本格的に勾配を増していくと出力が増大して消耗していくのがわかる。ここで意図的にペースを落とし、イメージだが出力は250Wぐらいまでで止める。心拍を上げないよう筋肉に負荷をかけないようにして、フィニッシュまで細く長く出力を引っ張り出すイメージ。
登り切ってトンネルを越えて下りを期待していたらほぼ下ることなく枝道へ。そしてまだダラダラと登っていってようやくゴルフィリアノ。
天気は山の裾で影響を受けているのか降ったりやんだり。今回サポートをお願いしている友人である赤井くんと定期的に身体のケアをお願いしているReBoneの香取さんのサポート部隊に合流。
PBPのようにタイムを狙うためのサポートというよりも、毎日モバイルバッテリーや持って走るウェアの入れ替えなどで2日め3日目そして4日めに1回ずつサポートをお願いした。それ以外のタイミングはイタリアを満喫してもらってよいので、かなりユルいサポートのお願いだ。
それでも貴重な時間をサポートに回してもらっているのはありがたい。
少し情報をもらいながらチェックポイントで食事。今回意外と蒸し暑いからかスイカが美味しい。日本でスイカを食べるなんてブルべではなかったが、今後はまりそうだ。
ステージ5はポンテデーラまでの116km1166mmアップの3つ星。
しばらく折り返してグラモラッツォ湖へ。湖畔にいる人の感じからすると、ちょっとした観光地のようだ。
フィンランド人ともうひとりどこかの参加者と下っていると突然オジサンがコースに出てきて止められた。おっと!シークレットポイントか??
と思いきや、
暑いだろう!アイスクリームいるか??
店のオヤジが通る参加者を止めてはアイスクリームをご馳走していた(笑)
食べ終わる頃、後ろから別の参加者が下ってきたが、やはりすごい勢いで止められていた。
結構登ったよなぁ~と改めて感じるほど下って下って下りまくる。そして最後の登りの入り口でけっこうお腹が空いている。バカンスなのか祝日なのか飯屋が全然開いてない。峠の入り口で営業しているピザレストランを発見。聞いてみると18時過ぎなのだが「19時までなら。予約客で埋まっているので」と。
いや、ソッコー作ってくれたら大急ぎで食べて出ていくよ、ということで交渉成立。
休止の女の子の可愛さに負けて、おススメでいいよ!と言ったら、容赦なく高いピザを出された・・・12ユーロ。メニュー上の方のやつは8ユーロなんですけど(;'∀')
しかし無茶苦茶美味しくて、そして満たされたお腹は、ここまでの峠をトラバントかラダに4人乗車で峠を越えているイメージが、まるでポルシェに一人で走っているかのような軽快さ!
そっか、単純にエネルギーが枯渇していただけなのかwww
峠の頂上では日没までに登れたのでまだ少し明るい。峠の下りを少しでも明るい時間に下れる方がいいに決まっている。
頂上の町では少し年上な感じのイタリア人と一緒に下りだすが、ルートが町の路地へと導いている。そしてすごい石畳でほんわかと階段になっている。
ホンマにこれでええんかな?たしかにルートはこっちなんだけど・・・
イタリア人は、オレは遠くても幹線道で下る、これはきっと主催者のルート作成ミスだ、とUターンしていったが、オレはそのまま階段下り(笑)
幹線道に出るちょっと手前、未舗装の、というかシクロクロス張りのコースで藪こぎ必至なルート。さすがにこれはちゃうやろ!と横の歩道みたいなところで幹線道へと出ていくと、ちょうどイタリア人が前を通過していった。
標高800mほどから一気に峠を下るのだが、ジェットコースターばりのルートで、前から車も来ないしライトの光のおかげである意味安心。もし道に隙間があったり段差があったらパンクやリム破損の可能性はあるのだが。
勢いよくダウンヒル、イタリア人もまったく見えなくなり、ようやくポンテデーラへ到着。
もう暗いし今日はここで仮眠するとしよう。
仮眠する前にちゃんと栄養を摂りたいから食事へ。
テーブルもそんなに多くないが参加者も多くない。多分前に100人はいないはず。
食べ終わり仮眠所は?と思ったら外で屋根のあるところに20人ほど寝ていた。
いつも持ち歩いている枕を用意、一旦来ていたウェアは脱いで適当にかけて干しておく。疲れていたのか枕に頭を置いた途端、そのまま黄泉の国へと落ちていった・・・
嗚呼、無事に黄泉の国から戻れますように・・・