De Ronde van Vlaanderen 1999 回想

99年のブログより

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1999年、フランドル一周レースに日本人として初めて出場した。
それはベルギーのワールドカップに、ベルギーのチームで外人が出場するということで(それもアジア人として初めて)大きなプレッシャーがのしかかっていた。あからさまに監督へ不平を言うベルギー人チームメートもいたほどだ。「なんで黄色いヤツが俺たちの国のイベントに選ばれるんだ!」

 

フランドル一周の出場だが、前週末のE-3まで出場は教えてもらえなかった。監督は決めていたのかもしれないが、とにかく俺は1週間前まで知らなかった。E-3はいい仕事をして集団から離れたが、リタイヤしたときに「フランドルには出られないかもな…」と漠然と思った記憶がある。

しかし、レース後、監督から「しっかりとコースを頭に叩き込んでおけ」と言われたとき、嬉しさのあまり、E-3のゴール地点からたったの2キロしか離れていない自宅にどうやって帰ったか、記憶にない。

 

 

普通ならフランドル一周の前哨戦としてデパンヌ日間に出っ上するのだが、俺は選ばれなかった。多分、大事をとらされたのだろう。フランドルを狙う選手には調整レースかもしれないが、普通に走れば3日以上走ることが困難なほどにタフで危険なレースだ。だから選ばれなかったのは正解だったとも思うし、反面きっちりフランドルを狙う選手のレベルをしっておいたほうが良かったという思いもあった。当時の俺は今のようなレベルにはなく、監督もきっとデパンヌを走ると必ず消耗するだろうと判断したのだろう・・・

 

スタート前にブルージュの街の中心での出走サイン。今までに見たこともないような観衆で興奮状態・・・スタート直後からアタックするが皆同じ考えなので決まらず。それどころか自分のアタックが呼び水となって時速60km以上で集団は動いている。おかげでアタック直後に集団は一列で、どこにも入るところがなく、結局集団の最後方まで下がって行き、かなり焦った。そこから延々とアタックが続くも、まったく大きな逃げが決まらない。60kmを過ぎたあたりでようやくスピードダウン。みんなコース脇で小便タイム。俺はその隙にチームメートのウィンドブレーカーなどをチームカーに運び、集団復帰。落ち着きを取り戻そうと思っていたら20人ほどがアタックし、またもや集団のペースは上がった。

 

カネヘムの石畳を過ぎ、ワレヘムの郊外で補給。ここから正部どころのフランダース丘陵へと突入していく。
ノーケレ口外にある石畳の長い通り。そこから小さなこぶのような登りが始まる。これがフランドル一周の最初の丘だ。

石畳の入り口手前からペースが上がる。家も近所で知り尽くした場所。どこのラインだと石畳が切れているとか、どこのラインだとスムーズに走れるかを完全に知り尽くしていた。しかし集団の中ほどじゃ思ったとおりのラインなどなかなか通れない。道を把握していないイタリア人が前で落車したりと、いきなり知っているはずのフランドル一周で洗礼を受ける。最初の石畳は集団後方でクリアーした。アウデナールデ周辺の「激坂ツアー」の幕開けだ。

 

集団の前方へと移動する。移動する際にチームメートを見つければ連れて上がる。俺の仕事は完走することじゃない。完走はしたいが、まずは結果を残すことを求められているチームメート、ミッシェル・ファンハックらに好成績を残してもらうために走ることだ。いくつかの激坂をクリアーし、長い石畳が続くマーテルの登りで力が入らなくなって集団から千切れてしまった。その後、何人かと追走するが、モーレンベルグからパデストラートへと向かうところで、復帰できず自転車を降りた。

せめて後半の勝負どころとなるアウデクワーレモントを走りたかったが、これがワールドカップの凄さなのだろうか。今までのセミクラシックの疲労度とは全然違う。頭では理解しているのだが、体はまったくいうことを聞かない。

 

補給地点でマッサージャーの運転するチームカーに乗り込み、ゴール地点へと先回りする。ゴール地点横にある更衣室にはテレビがあり、リタイヤした選手たちと行方を見守る。ファンハックは良い位置につけていたが、ビッグネームを相手にして一気に消耗し脱落。これが本当のクラシックレースだ。中途半端じゃ話にならない。

 

ミュセウ、ファンペーテヘム、ファンデンブルックの3人が抜け出しゴールスプリント、ファンペーテヘムが優勝した。その瞬間、更衣室の外にいる観衆がざわめき、このレースの凄さを再び思い知った。これは戦争なのだ。レースなんかじゃない。俺はこれまでどおり、ただ単に「レース」を走っていた。だから、この「戦争」では戦えず、あっけなく死んでしまったのだろう・・・「戦争」の準備などまったくしていなかったのだから。

 

その昔「戦士」のことを指していた「フランドリアン」と言う言葉。今ではミュセウをはじめファンペーテヘム輪に使われるが、それは的を射てると思った。

 

サポーターに送られて帰る家路、それは先ほどまで戦場だったのが嘘のように、今はただの田舎道となっていた・・・

 

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